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【前編】有田町史400年に学ぶ有田焼産業イノベーションの成功の秘訣

話し手:山田雄久先生

近畿大学 経営学部経営学科 教授
佐賀大学肥前セラミック研究センター客員研究員

日本の近代化に果たした伝統産業の発展。陶磁器業の技術導入や熟練労働、さらに市場情報を伝達した商人について考察し、社史執筆や業界支援などの仕事にも着手。有田焼に関する研究論文多数。
詳細プロフィール 

 

聞き手:深海宗佑

(株)深海商店 後継ぎ

有田焼開祖百婆仙を先祖にもつ深海家13代目。東京丸の内にある一部上場経営コンサルティング業界を経て2021年より窯業界に従事。有田焼産業の再興を使命に日々邁進する。

 

 

 

30年以上有田焼産業の歴史を経営学の観点から研究してきた山田雄久先生に有田町史400年に学ぶ有田焼産業イノベーションの成功の秘訣を伺う

 

 

前編では

有田はイノベーションを生み出す気風がある
30代以上の若者がイノベーションの起点となる
イノベーターは同世代の人達と数人のグループを作る
イノベーターは上の世代(60代〜)の人達に承認と応援を取り付ける
という事をお話しいただく。

 

有田にはイノベーションを生み出す気風がある。

 

山田先生:まずは、歴史的に有田はイノベーションを生み出す気風があることをお話しします。

有田焼というのは日本全国を見渡しても別格の先進地ですよね。革新的な気風があります。それは、
・外国からの新しい情報が入る長崎県に近い
・朝鮮陶工がやってきた
・新しい時代に対応する起業家がいる
等があるのでしょう。

佐賀県の中でも佐賀市や福岡だと保守的で現状維持の雰囲気がありますし、東京や大阪だと情報は入って来るけど、なんとなくうまくいっているので現状維持を選択しがちです。

数々の賞を受賞し現在は有田焼産業のリーディングカンパニーとなっている合本組織香蘭社は参考例になります。

明治の世の中が大きく転換している時期に、時代の流れを踏まえて陶磁器会社を作ろうと考えたのが、内閣総理大臣も務めた大隈重信と歴史学者の久米邦武です。

佐賀県でそれに呼応したのが、辻家・深川家・手塚家・深海家の4家です。
鍋島文書によると明治8(1875)年に辻家が香蘭社という会社を設立するという申請書が佐賀県県立図書館に残っています。

共同出資の合本組織だったので、工場は辻家・深川家・深海家のそれぞれにありました。

翌年明治9(1876)年のフィラデルフィア万博に向けてそれぞれの工場で製作していました。

尚、共同工場を作ろうと深海墨之助が提案したけれども時期尚早という理由で深川家が反対したようです。

そのため、辻家・手塚家・深海家で共同の工場を作ったのが精磁会社です。辻家の敷地内に精磁会社の洋食器工場を設置していました(松本源次著『有田陶業側面史』)。

 

深海宗佑:ところで、なぜ深川家・手塚家・辻家・深海家の4家が合本組織香蘭社を設立するに至ったのでしょうか。また、香蘭社を設立する前は深海家はどういうことをやっていたのでしょうか。

 

 

山田先生:まず、辻勝蔵と深海墨之助が近代化に呼応して、チャレンジしたというのがあります。明治の近代化にはまずこの2人の名前が上がります。

有田に来たワグネルの指導を受け、有田焼の技術革新に取り組みます。深海墨之助はこれからの時代を見据えていたのでしょう。

深海墨之助は、当時最先端の製造技術である石炭窯・石膏型・合成呉須・タイルの製造等に積極的に挑戦しました。近代化に必要だと感じた技術をどんどん導入しました。

辻家も禁裏御用達という家柄で保守的ではあるものの、辻常陸は新しい陶芸の焼成技法の開発を研究するなど、新しい物を作る考え方が強かったです。

 

深海宗佑:深海家は、400年前の江戸時代初期に有田焼を作り始め、150年前の明治時代初期に有田焼の近代化を推し進めました。
おおよそ200年毎に時代の転換点で活躍していたんですね。
私は現在30歳で深海墨之助が香蘭社を設立した歳と同じです。
そして、近代化のために複数の技術を有田焼産業に導入しようとしています。お話しを聞いて偶然ながらも血筋というのを感じました。

山田先生:そうですね。深海家は、200年〜250年に一度となる大きな時代の転換点に有田焼を変えています。今のやり方や製品ではいけないという危機感がその時々にあったのでしょう。

他の有田に関わりのあるイノベーションの事例についてお話しします。

Noritakeの洋食器セット製造成功に関しても有田の人が関係しています。

それは江副孫右衛門です。有田で生まれ育ち、有田工業学校を卒業後、蔵前の高等工業に進学し、Noritakeに就職しました。

そこで、生地の配合や焼成温度などを工夫することで大正3年(1914)に洋式ディナーセットを完成させます。これは日本陶器設立から10年、森村組として検討を開始してから20年後でした。

当時は洋食器(硬質磁器)を製造するのには非常に高い技術が必要でした。これがニューヨークでNoritakeの洋食器が売れるようになったキッカケです。

有田で培われたイノベーションの精神はNoritakeにも受け継がれたと考えてよいのではないでしょうか。

 

深海宗佑:有田焼産業には保守的な人が多いですが、
・200~250年毎に有田は大きく変わってきた事
・現在、その時代の転換点に立っている事
を有田焼産業の方々に知ってもらいたいなと思います。

 

山田先生:そうですね。有田は歴史的にも革新的な技術を作る人が出てくる地域といえますね。
先人の功績から学び、今のうちから変革を進めていくことで、10年20年かけてこれからの日本を変えることにも繋がります。

 

昔の有田でもその様な意識を持っている人の中から活躍する人が出てきます。有田焼産業では新しいことにチャレンジしようと考える人が多いと思います。

新しい技術を取り入れてきた町ですし、新しいチャレンジをできる人がまだまだいる町です。

しかし、それぞれバラバラに試行錯誤していてもなかなか変わりません。皆さん歴史は勝手に作られると思いがちです。
次の時代にどういうことをしていかないといけないか、ということは考え続けないといけません。

 

30代の若者がイノベーションの起点となる

 

深海宗佑:さて、イノベーションの気風があることを教えていただきましたが、歴史的に見てイノベーションを成功させる秘訣はありますか?

 

山田先生:合本組織香蘭社を作った話で言えば、まず一つ目は、30代の活躍が肝心です。

40代も入るかもしれませんが、30代が新しい事に挑戦する気持ちが大切です。
50代60代の人だと40年先50年先はもう引退していて、若い人でなければ将来への強い危機感や使命感を感じずアクションが起こりません。

深海宗佑:20代ではなく30代がイノベーターとなるのが良いのでしょうか?

山田先生:20代ではまだ経験値が足りないため、周囲からまだまだ早いと言われます。
社会人経験を積んで有田焼産業の問題点が分かる30代以上の若手が要になります。

 

イノベーターは同世代の人達と数人のグループを作る


それでは、その問題意識を持った人がどう行動するかという話になります。
有田では一人だけではなく、他の人と共に環境を変える動きが大切です。

 

複数人の能力が重なって社会は変わります。

イノベーションというと、例えば、ビルゲイツやスティーブジョブスのような人を思い浮かべると思います。特別な能力を持つ一人の人が成功するというイメージです。

西洋では突き抜けた一人で上手くいきますが、日本ではそういう簡単な話ではないですね。

日本は村社会なので、欧米型を踏襲すると変人扱いされたり、肌に合わず飛び出してしまいます。

一人でやることは勇気がいりますし、そういう人は世界に飛び出します。地方だと上の人と話しながら変えていくという結構根気がいります。

深海宗佑:そうですね。私も根気が必要だと思っています。

山田先生:香蘭社設立者メンバーである、地元の名門窯元の深川栄左衛門や手塚亀之助は、藩との関係もありました。

だから、有田焼産業のリーダーのようなポジションを常に持ってたわけですね。そういう人が協力するというのはポイントだったかと思います。

工場を合併するかどうかで分裂しましたが、向いている方向は同じだったので、有田全体が変わりました。

深海さんと同じ様に考えている方は若い人はたくさんいらっしゃると思います。

しかし、意外と横のつながりがないですよね。根気よく10年20年やっていくと変わっていくと思います。
実際、今、有田は変わろうとしていますよね。

 

深海宗佑:そうですね。私は元々有田にUターンするつもりでしたが、Uターンするタイミングを2021年8月とした要因の一つに有田が変わろうとしていると感じていたからです。

 

山田先生:上の世代の方もなんとかしないとという気持ちがあって、若い世代の人への期待も高まっていると思います。

やり方によっては、新しい事も出来ます。実際にやってる人もいます。明治とは時代状況が違うのでやり方は違いますが、根気よくやっていけば、今の若手が中堅になって中核を担うようになった時に変わるでしょうね。

波佐見は若手世代がやりやすい環境になっているので、新しいことを始められています。なので、あれだけの成果を得られたと思います。

有田は10年以上前と比較すると元気な街になってきてるかとは思います。ただ、現在の有田にはかつてのような町全体を引っ張っていくような強力なリーダーがいるとはいえない状況ですね。

なかなか周りが1つになるのが難しい状況というのは有田の皆様も感じているのではないでしょうか。個別にご活躍されている企業も見受けられますが、団結が無ければ産業全体への波及効果は限定的です。

町のリーダーが不在ですと、町全体での連携がとりにくいですね。50代60代になると仕事のしがらみでなかなか動きが取れづらくなります。

若い人であれば考えが合うかどうかで一緒に動けるのでやはり若い人がさまざまなシーンで先頭に立つのは必要ですね。

 

この5年間の有田の状況を説明します。

2016年の有田焼400周年事業の際に町長だった方はご自身のビジョンにひたむきに走られる方でした。
しかし残念ながらなかなか周囲の応援を得られない状況もありました。400周年事業の終了と共に再選とはなりませんでしたので。

また、有田焼400周年事業も400周年をキッカケに続くといいんですが、世代間の考え方の違い等によって、その後立ち消えたものも多く見受けられます。

まだまだ保守的な考え方の方もいらっしゃるでしょうから、400周年事業でも一つにまとまりきれてなかったのは問題だと思います。

「戦後日本伝統産業地域の組織革新」(科学研究費補助金研究成果報告書)には、時代の流れにあらがえず大有田焼振興協同組合が最終的には分裂解散したことを書きました。

また、時代的背景以外の要因は、30代位の若手と60代以上の世代との事業継承についての考え方の違いが長期不況の中で存在し、保守派と改革派の分裂がみられました。

景気が悪くなるにつれて、本業に専念しなければならなくなり、一緒にやろうという意欲が次第に失われたことも影響したのではないでしょうか。更には、後継者がいない企業に関しては、廃業するところも出てきます。

今の状況をどう乗り越えるのかが課題なのかなと感じています。

 

深海宗佑:有田が一つにまとまった時期はありますか?

山田先生:有田が一つにですね。大有田焼振興協同組合は有田が一つにまとまった例だと思います。

大有田の誕生は、昭和〜オイルショックの頃に百貨店市場の獲得に成功した例となります。

まず、明治時代の話をします。明治12年(1879年)に創立された香蘭社は商人や窯元が集まったものです。通常、窯元さんや商人さんは考え方が異なり、相入れないところがあります。

しかし、香蘭社はフィラデルフィア万博やパリ万博での金賞受賞を始めとして、多大なる活躍をしています。

深海墨之助さんが香蘭社設立に携わったのはまだ30歳の時でした。そこから考えると、30代位のまだまだ認められていない若手同士で一緒に頑張るグループが出来るというのは重要です。

 

イノベーターは上の世代(60代〜)の人達に承認と応援を取り付ける。

山田先生:話を昭和に移します。まずは、個別の小グループでの協力がありました。

「戦後日本伝統産業地域の組織変革」にも書きましたが、1980年代は全国的に協業化が進んだ時代でもありました。

深海宗佑:こちらの本ですね。


山田先生
:はい。
有田では卸団地や有田焼工業を作る動きが出てきます。その頃は有田が一丸となって頑張る雰囲気がありました。

競合同士である商社さんは、商売的にはライバルだったと思います。
しかし、商社さん同士の協業化を優先したため、卸団地ができました。

また、窯元さんの協業化を形にした、有田焼工業の十社も作られました。
さらに商社や窯元等窯業全体の関係者をまとめて作り上げたのが大有田です。

この時代は古参の方々が、若い人達にやってみろというのがあったようです

 

青木町長や岩尾会頭のリーダーシップが大きかったです。
当時有田の若手として活躍されていた中島さんや山口さん、深川さんといった方々がそれぞれのグループで頑張っているのをみて、全て一つしたらうまくいくんじゃないかということで大有田焼振興協同組合が作られました。

上の世代も将来のことを考えると、一緒にやるべきだというのがあったと思います。同様に、若い世代も有田焼の協業化を期待していました。

 

有田焼創業350年の時に大有田はうまくまとまりました。
若い世代と上の世代がコミュニケーションが取れているのはひとつのポイントだと思います。

大学を卒業して社会人経験してこういうのがおかしいというのはあると思いますが、それを形にしていくのが5年10年だと思います。

忙しすぎて世代間のコミュケーションが取れていないので、コミュニケーションをとれていければといいと思います。
若い人は若い人だけでと言っていますが一緒にやっていくのは大切だと思います。

 

深海宗佑:強く賛同します。私は若い世代だけだと力が足りませんし上の世代の人が実権を持っていますので上の世代と協力していくのが重要だと思っています。

 

山田先生:若手ばかり盛り上がって上の世代に協力を得られないと、若い人が提案しても「あー、そう」で終わっちゃいますしね。

世代間の関係というのは重要で、若い人を中心にグループでやっていくっていうのがあれば機能していきます。

我々が見ていて感じているのは、窯元さんはまだまだバラバラということと、 商社さんはいくつかうまくいっている会社さんがあるということです。

うまくいっている所がグループになって頑張ると一つの流れになるのではないかと思います。
そして、その流れを次の若い世代の人に、いかに次に繋げるのかが重要です。

 

前編では

・有田はイノベーションを生み出す気風がある
・30代以上の若者がイノベーションの起点となる
・イノベーターは同世代の人達と数人のグループを作る
・イノベーターは上の世代(60代〜)の人達に承認と応援を取り付ける

という事をお話しいただいた。後編ではその続きをインタビューする。

 

【後編】有田町史400年に学ぶ有田焼産業イノベーションの成功の秘訣