有田焼400年の歴史は、深海家が守り抜いてきた「色」の系譜であり、幾度となく訪れた有田焼の『変革期』を牽引し続けてきた歴史でもあります。
日本初の磁器産業の立ち上げを牽引し、有田焼の始祖の一人とされる百婆仙(ひゃくばせん)。明治の近代化という変革期に「合成呉須」を開発し、色彩革命を起こした深海平左衛門・墨之助父子。そして戦後の存亡の危機において「有田焼の本質は色にある」と再定義し、絵具製造へと業態を転換した深海辰治。
本稿では、窯元から窯業資材メーカーへと姿を変えながら、歴史の転換点において常に有田の「青」と「色」を支え続ける深海家の歴史を解説します。
目次
有田焼が誕生する黎明期において、圧倒的な指導力を発揮した「有田焼の始祖」の一人が、深海家のルーツである百婆仙です。
1590年代の豊臣秀吉の朝鮮出兵に際し、百婆仙は夫・深海宗伝と共に渡来しました。当初は武雄市内田村の小峠窯などで作陶を行い、深海(フカウミ)という名字は、当時の武雄領主・後藤氏から出身地を尋ねられた際、釜山近郊の「金海(キンカイ)」と答えたものを、後藤氏が「シンカイ」と勘違いしたことに由来して賜ったものです。



▲ 文化庁の史跡に指定されている深海家 武雄での窯跡(小峠窯)

▲ 武雄焼の祖・深海宗伝の記念碑(飛龍窯そば)

▲ 2018年、没後400周年を記念した建立を報じる新聞記事
1618年に宗伝が死去します。同時期に有田の泉山で日本初となる良質な磁器の原料(陶石)が発見されると、百婆仙は自身を慕う一族や多くの渡来陶工たちを率いて、有田町稗古場(ひえこば)へと大移住を敢行しました。
彼女がこの地で一族を束ね、磁器生産の巨大な基盤を築き上げたことこそが、日本初の磁器産業「有田焼」の本格的な幕開けです。96歳という当時としては異例の長寿を全うするまで有田皿山を牽引し続けた百婆仙は、現在でも有田焼の始祖として深く敬愛されています。



▲ 曾孫の宗仙が宝永2年(1705年)に稗古場の報恩寺に建立した『萬了妙泰道婆之塔』(百婆仙の法塔)。
深海一族が窯元として繁栄した歴史を物語っています。

女性初の宮廷陶工「沙器匠(サキジャン)」として活躍した百婆仙(劇中名:ユ・ジョン)の数奇な人生を描いた韓国ドラマ『火の神ジョンイ』のモデルにもなっています。韓国でも「初めて外国に渡って活躍した女性リーダー」として研究会が立ち上がるほど、歴史的に重要な人物です。
江戸から明治へと時代が移り変わる中、有田焼は西洋の技術が流入する「二度目の大きな変革期」を迎えます。ここでも深海家(当時の当主・平左衛門と息子たち)は、有田焼の近代化において決定的な役割を果たしました。
江戸時代、青色顔料である「呉須」は中国からの輸入に頼る高価なものでした。明治初期、深海家はドイツ人化学者ゴットフリード・ワグネルを有田に招聘し、コバルトを用いた「合成呉須」の開発に成功します。さらに、1300℃の高温焼成に耐えうる多色表現「本窯錦」を完成させ、有田焼の色彩に革命をもたらしました。
深海家が牽引した技術革新は、日本政府が推進した万博出展のうねりの中で大きく花開きます。
明治8年、深川家・辻家・手塚家、そして深海家(墨之助・竹治)の4家が集まり、現在の皇室御用達窯元・香蘭社の前身である「合本組織香蘭社」が創設されました。彼らの作品は、明治9年(1876年)のフィラデルフィア万博で金賞を受賞し、有田焼の名を世界に轟かせます。
帰国後、深海墨之助は独立して「精磁会社」を設立し、有田焼の技術をさらに高めました。彼(陶工名:年木庵喜三)の卓越した作品は、現在でも東京国立博物館や、英国のヴィクトリア&アルバート博物館などに収蔵されています。また、弟の竹治も明治30年(1897年)に帝室技芸員(現在の人間国宝にあたる地位)の内定を受けるほどの腕前でしたが、惜しくも肺結核により受賞前にこの世を去りました。
日本経済新聞の連載「世界を魅了 明治の焼き物」においても、深海家の作品が大きく取り上げられました。
・(2)年木庵喜三・瓢池園「色絵紅葉山水文耳付花瓶」
・(8)精磁会社「色絵鳳凰花唐草文透彫大香炉」
激動の時代を経て有田焼の知名度を押し上げた深海家ですが、第二次世界大戦後、有田焼産業は全く物が売れない「三度目の大きな変革期(存亡の危機)」を迎えます。
「このままでは有田焼が失われてしまう」と強烈な危機感を感じた深海辰治(明治44年生)は、有田焼の美しさを根本から見つめ直し、「有田焼の美しさを作る本質は『色』にある」と再定義しました。そして、始祖・百婆仙から代々続いていた窯元(自ら器を焼く立場)としての看板を下ろし、有田焼の色彩の根幹を裏から支える「陶磁器用絵具(呉須・釉薬)の製造販売業」へと業態を転換。その後、1961年に『株式会社深海商店』として法人化しました。
半世紀以上にわたり、深海商店が石臼で挽き続けた呉須を用い、窯元様の卓越した技術によって製造された有田焼は、現在も各国の王侯貴族に愛され続けています。
2026年3月の同業他社様からの事業承継に伴い、肥前窯業圏(佐賀県・長崎県)にて呉須を製造する企業は弊社1社のみとなりました。これにより、2026年3月20日以降、有田で作られる呉須はすべて13代目の私・深海宗佑が事業を担う深海商店製となります。
また、伝統的な「石臼(いしうす)」を用いた製法を守り続けているのも、現在日本国内で弊社一軒のみとなりました。表舞台から裏方へと業態は変われど、私たちはこれからも、400年の歴史を持つ有田焼の「青」の品質を責任を持って守り続け、技術を革新し続けてきた先祖たちの意志を継いでまいります。
始祖・百婆仙から始まり、ワグネルとの協業による合成呉須の開発、そして深海辰治が窯元から転身してまで守り抜いた「有田の青」。
現在の深海商店は、江戸時代から続く石臼製法で1μmまで微粒子化したプロ品質の呉須を、工場直営のオンラインストアでお届けしています。300種以上の開発実績から厳選した顔料を、ご自身の窯で発色テストできるお試しセットとしてご用意しました。歴史の変革期を支え続けた「本物の色」を、ぜひご自身の作品で体感してください。
有田焼の基礎を築いた百婆仙や深海家ゆかりの窯跡です。稗古場窯と天神山窯は何度か築き直されましたが、ほぼ江戸時代を通して長期間操業された窯です。
稗古場窯は1985年の調査で17世紀代の登り窯が発見され(焼成室は横幅3.2m、奥行3.18m)、天神山窯は1990年の発掘調査で物原(失敗品の捨て場)の一部を確認しました。出土した製品の年代は1630~1660年代のもので、いわゆる初期伊万里焼と称される製品から海外輸出向けの製品、ごく少量の陶器まで見られます。

▲ 稗古場窯跡・天神山窯跡

▲ 出土した初期伊万里焼
百婆仙から続く深海家の歴史に触れた後は、実際に有田焼の「色」をつくる職人体験をしてみませんか?
深海商店では、一般の方向けに「オリジナル釉薬(ゆうやく)づくり体験」を開催しています。焼き物の色と質感を決める絵の具を、理科の実験のように自分で調合する日本唯一のワークショップです。専門知識は一切不要!13代目が楽しく、わかりやすくサポートします。
あなただけの特別な「色」を探しに、ぜひ深海商店のショールームへ遊びにいらしてください。
※随時更新中です。
【本・展覧会図録】
・有田町史
・肥前陶磁史考
・温故維新 美・技のSAGA
・有田陶業側面史上(松本源次 氏)
・有田皿山遠景(有田町教育委員会)
・鍋島直正公伝 第6編(中野礼四郎 氏)
・時代を超えた経営者たち(井奥成彦 氏)
・香蘭社130年史(香蘭社社史編纂委員会 編)
・年木庵二代深海墨之助君の傳(久米邦武 氏)
・幻の明治伊万里~悲劇の精磁会社(蒲地孝典 氏)
・精磁会社の作品 ─ 幻の明治伊万里 ─(佐賀県立九州陶磁文化館 編)
・明治有田偉人伝(有田町明治維新150年事業実行委員会)
・有田焼創業400年記念 明治有田 超絶の美 ─ 万国博覧会の時代(佐賀県立九州陶磁文化館 編 / 鈴田由紀夫 氏 他)
・有田磁器(永竹威 氏)
・お雇い外国人 12 外交(鹿島出版会 ※G・ワグネルと有田焼の近代化関連)
【本・フィクション(小説)】
・龍秘御天歌(村田喜代子 氏 / 芥川賞作家)
・百年佳約(村田喜代子 氏)


【学術論文】
・有田焼の創始者 : 百婆仙についての基礎的研究(野村育世 氏)
・産地の自己革新と企業家活動─有田焼陶磁器産地の事例を中心として(上智大学教授 山田幸三 氏)
・近代における有田陶業技術の変遷(佐賀県立 九州陶磁文化館館長 鈴田由紀夫 氏)
・近世末期から近代初期における肥前陶磁器流通(専修大学教授 石川和男 氏)